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2016年03月19日

退院して一ヶ月、サクラソウサク。

胃の全摘を行ってから、昨日で一ヶ月が経った。
一ヶ月目の朝、家から望む山々は、すごく凛として見えた。

手術後に医師や栄養士から、「まずは、一ヶ月」って言われた一ヶ月間...、うん、なんだかあっという間だったな。
食事の管理を僕自身、一番、徹底的にやったし、今までは買う事のなかったドリンクや食物サプリメントも摂って、バランスを考えた。
後は、同じパターンの生活習慣と、睡眠の充実かな。
とにかく、そんな事を毎日考えながら暮らしていたら、一ヶ月経っていた (笑) 。

術後、退院してからの時間、胃がなくなった僕の体の食生活をバックアップしてくれた、母に、まずは感謝したいな...。
母は結婚後、父の実家の味付けの影響もあって、けっこう濃い味付けをする料理人になっていた (笑) んだけれど、今回、僕の食事を管理するにあたって、かなり、今までよりも薄い味付けになった。
今まで、「せっかく作ってくれているのに...」って、「味、濃いな~」って思っても何も言えなかったんだけど、今、僕としてはとてもとてもいい塩梅な味付けになった。
母も、「この方が、昔みたいに、食材の味がしっかり分かるじゃやん」などと、忘れていた事を思い興してくれたみたい (笑) 。


15日に、術後一ヶ月の、外来診察があった。

主治医からも、臨床栄養部の栄養士さんからも、
「これ以上ない、回復」
と、嬉しいお言葉を頂いた。

手術する前、消化器内科と消化器外科の主治医には、
「胃の全摘手術を行わない場合、胃癌がリンパ節に転移する可能性は、10%」
って言われていたんだけれど、この前の外来では、
「摘出した部位の病理検査からも、リンパ節含め胃癌の再発は、95~98%ないでしょう」
って、これ以上ない診察結果だった。

右腕や右肩の脱力感と薬指と小指の痺れについては、
「今服用している、神経障害を改善する薬を飲みながら定期的に様子を見て、今以上に症状がひどくなるようであれば、整形外科での手術も視野に入れて考える」
という事で、今すぐに首や肘にメスを入れるって事は、なくなった(ホッ...)。

で、帰宅後、ちょっと調子に乗ってしまった。
晩ご飯に、「あ、ちょっとおこげが硬いかな~」なんて思いながらも、香りに食欲があおられて、少し焦げ目の蕗味噌の焼きおにぎりを食べた。

で、やってしまった。
食道と小腸の吻合部に焼きおにぎりのおこげが詰まって、術後初めての、「早期ダンピング症状」になっちゃった。
https://www.kango-roo.com/word/8746
いや~、苦しかった。
「自分は、胃のない人」って忘れちゃいけないって、改めて痛感した。
うん、忘れちゃいけない、ホントにいけない。



ここのところ、鍵盤に向かってピアノやシンセを弾いたり、うた歌ったり、ギターを弾く時間が増えた。
ようやく、自分の生活の中に、自然に「音楽」が、溶け込んで来るようになった。
ありがたい事に、術後初めてになる音楽制作の仕事もいただいて、創った音楽は、埼玉のショッピングモールイベントのテーマ曲とイベント場内用のSEとして、無事に旅立って行った。
なんだかちょうどギター弾いていた時にメロディが浮かんだので、今回の音楽は、久しぶりにギターを弾きながら作った。


今日は、長野県内公立高校の合格発表があった。
卒業式、新しい門出、進級、就職、引越し、新しい生活...、生活の中のサクラが舞い散る時頃だ。

県下の桜だよりはまだまだだけれど、「サクラサクマヘニ、サクラソウサク。」。

今、僕は、そんな気分や心持ちで、日々過ごしています。


今回の入院前に比べて、今のところ、7kgほど痩せました。
でも、自分では、痩せた感じは全然ないし、鏡を見てもあんまり感じない。
一先ず、今年の目標は、「UNIQLOで服を買う!」、これでありますっ (爆) 。  

2016年03月12日

昨日から今日になって、願うこと。

今年も、3月11日がやって来て、過ぎて行った。
でも、ただの一日として、日付の推移として過ごす事なんて出来ない、過ごしてなんかはいない、たくさんの人たちの思いがある。
そして、決して、忘れてはいけない事実、事実のそれからこれからが、僕らにもあるように感じる、3.11。

三年前の夏、福島。
郡山でライヴをした次の日に、初めて、震災二年後の、飯館村、相馬市、南相馬市、浪江町を、見た。
目にしたもの感じたものは忘れることが出来ないし、刹那たる地震が起こした、震災と津波災害と被曝の恐ろしさを感じて、五感がマヒしたような状態になった。
原発も海もない長野県に育ったから、余計に感じたのかもしれない。

これからの復興を含め、みんながもっと笑える時間が、少しでもたくさんになればいいな...と、願います。




そして今年の、3月11日。
僕はけっこう、忙しい一日だった。


朝からやりたかった音楽作業があって、朝ご飯を済ませてから、ピアノに向かう。
今年の.3月11日には、どうしても、チャプリンが作りエルヴィス・コステロが歌った「Smile」のカヴァーレコーディングを、ひとりだけでやりたかった。

久しぶりに汗をかくほど真剣に鍵盤に向かって、「まぁ、こんなもんかな...。」ってアレンジが決まり、ピアノのオケ録り。
ここで、午前中は終了、午後からは信大の外来があり、病院へ。


胃の手術をした消化器外科の外来ではなく、今回は脳神経内科の外来で、MRIの検査をした。
MRIってのは、耳栓をして検査を受けるほど、けっこううるさい。
検査中、なんだか、ガ!ガ!ガ!ガ!ガ!ガ!って機械の音が、80年代のディスコ音楽のファのミュート8分音符を連打するシンセベースに、聞こえて来たface08

嗚呼、音楽バカ (笑) 。

今回、なぜ故にMRI検査に至ったかと云うと、
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五年くらい前から、ピアノ弾いたり音響やったり運転したり...すると、ものすごく、右肩だけ凝るようになった。
二年前は、数ヶ月、椎間板ヘルニアで、腰と右足を病んで悩まされた。
去年の夏過ぎ、湯澤かよことの野沢温泉のコンサートが終わった辺りから、右指の薬指と小指がしびれて始めた。
去年の秋頃になると、右腕を持ち上げる力があまり入らなくなり、右肩の筋肉も落ちて来た。
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って、体の右側だけの痛みや痺れがいろいろとあって、これらの原因を調べるべくの、MRI検査でした。

結果、
~右首5番目の椎髄神経に、脳から来る脳脊椎髄液が十分に循環していなく、「頚椎神経障害」を起こしており、それによって、右指の痺れや右腕の脱力感、右肩の凝りなどに繋がっているのではないか...、との診断で、来週、信大内他科紹介、今度は整形外科の外来を受け、両科の意見も含め、今後の治療方針を決める。~

...って、MRI画像を見ながら主治医がおっしゃっている事を、ノートに書き留めるのが精いっぱいの、複雑でややこしい診断結果だった。
また、心配事がひとつ増えちゃったface04
結局、今年の3月11日午後2時46分は、病院でむかえる事になった。

胃癌手術からの今後の回復も含め、いつも僕の力になってくれる人たちが笑っていられる時間が、少しでもたくさんになればいいな。


病院を後にして、去年の3月11日に亡たばぁちゃんの墓参りに行った。
美ヶ原の雪山が、なんともいえなく美しく、じぃちゃんとばぁちゃんと叔父さんと叔母さんが眠るお墓は、西日を背中から受け、キラキラと光っていた。

墓参りを終えて、ばぁちゃんが住んでいた家があった場所へ。

日曜日には、まだ、門と塀と庭石と瓦礫が残っていたばぁちゃんの家があった場所

は、

ホントに真っ新になって、ジャリ詰めが始まっていた。


でも、仏さまになったじぃちゃんとばぁちゃんたちは、空で仲良く笑っているんだろうな。


家に帰って、晩ご飯後、午前中にやりかけた音楽制作を、再開。
「Smile」のピアノオケに、鍵盤ハーモニカをオーバーダビングして、いよいよ、うた録り。
歌を真正面からうたうなんてのは、いつぶりなんだろう...、なんて思いながら、
三回録って、一番しっくり来たテイクを採用。
でも、3.11の間には、ミックス~マスタリング~YouTubeアップが間に合わなかった..(苦;;;)。
しかし、紛れもなく、3.11に心を込めて、弾き、吹き、うたいました。


さまざまな事件、天災、環境、人間関係、社会問題、家族、音楽、病.....。
全てに楽しい事がある訳ではないし、前向きになれない時だって、誰でももちろんあるよ、人間だもん。
それでも、微笑みや笑いが生むパワーを、みんなで産み出したせればいいな、って、思います。

世界中のみんなが、笑っちゃえる時間が、少しでもたくさんたくさん迎えられますように....。



僕も、スマイル・ハートで、これからも過ごて行きたいと、思っています。  

2016年03月09日

手術してから三週間、退院してから一週間。

早いもので、胃全摘の手術をしてから三週間、退院して一週間が過ぎようとしています。

手術前後のの主治医の診断や入院計画よりも病院での回復が順調で、退院が予定よりも五日くらい早かったので、退院した時には嬉しさと共に、不安や心配もたくさんあったな...。




そんな中、一番心配だったのは、家に帰ってからの、食事の献立内容の組み立てと食事の摂り方だな。

今回の手術で胃がなくなってしまって、食道と腸がドッキングした身体なので、食道くんと小腸くんに、なんとか胃の代わりになる働きを少しずつ覚えてもらわないといけません。
退院時に栄養指導された内容や、入院中外泊した時に買った胃癌後食事用の料理本や、ネットで調べた資料なんかを元に母と相談しながら、食事の管理を始めました。

僕は食べる事も好きなんだけど、料理をするのも好きなので、食材検討したり献立考えるのは、けっこう楽しい (笑) 。

朝・昼・晩、といった通常の三食ではなく、胃がない体に負担をかけずに消化へ導くように、少ない量を一日6食に分けて、ゆっくり時間をかけて租借しながら食べる事を、徹底しました。


一日6回に分けた分食って、時間的にかなり忙しくて、ゆっくり一食終わってなにかやってると、すぐに次の食事タイムになっちゃう (笑) 。

でも、ゆっくりと焦らずやってます。




後は。
近所を散歩したり、

まったりとお茶飲んだり、

庭の草木を眺めたり...。

退院当日の夜、結構冷え込んだので、松本の寒さにちょっとビビったけど、後は暖かい日が続いて、ほーんと、のんびり暮らしてます。

約一か月ぶり、ピアノも弾き始めましたっ!




手術痕が突っ張ってしまって、どうしても猫背になって、ずっと腰が痛かったんだけど、最近では少しずつお腹がのばせるようになった。

ほんとは行儀悪いんだけど、「ながら食事」をする事で、食事に時間をかけるコツも覚えた。

なによりも、毎晩、安心して熟睡出来る。




徐々にだけど、元の関に戻って来てます。

まだまだ、長い道のり。

でも、ゴールがイマジン出来る、道のり。
  

2016年03月01日

朝日のあたる家、より。

2月15日に入院、2月17日に「胃全摘・胆のう摘出手術」、後、徐々に回復の中、おもゆ〜三分粥〜五分粥〜全粥〜白米の食上げ、手術痕の硬化や術後血栓を防ぐための運動。

長いようで短かったような気もする16日間の入院生活。

本日、退院出来ました!

入院中、たくさん綴ったブログ、たくさん読んでくれて気持ちをくれて。

みなさん、本当に!
ありがとう。





退院する今日の午前中、散歩しながら屈伸したら、視界一面に、青空。

今日の青空、忘れない。

これから、食事の管理しながらの体力強化に勤しむ日々になるけど...。

青空の中の星を、探しながら見つけながら、完全復活目指して、頑張ります!